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2022年10月26日水曜日

チャリチャリを使って撮影まわり

 スマホを持ったので、熊本市での神社のストリートビューの撮影まわりに、シェアサイクルのチャリチャリを利用する。

グーグルマップをナビ状態にして、ボリュームを最大にして、カメラベストの胸ポケットに入れて、神社へのナビを聞きながら自転車を漕ぐ。

2021年11月28日日曜日

21世紀になって、初めてサブウェイを食べる

20数年ぶりサブウェイを食べる。

スカスカで物足りない。

以前は満腹で満足したはずなのに。 

2021年10月4日月曜日

2年ぶりの生活圏外への外出

 ワクチン2回めで、抗体も出来た頃だし、コロナ感染者が1桁継続なので、ついに外出撮影再開。

ステイホーム中に老いてしまって、都会のリズムが苦痛になっていた。

2020年6月17日水曜日

今年初外出

今年初外出。半年ぶりで、腕時計の存在を忘れていた。
モールのユニクロへ。
かごに商品が入ったままで、自動精算レジに驚く。

バスの運転席も飛沫防止のビニール。

街歩きをしたら、腰痛と膝痛が治る。


2019年10月20日日曜日

OMICAMは背中につけても面白い

通常、OMICAMをワンショルダーのベルトにつけて、正面を撮っている。

背中のバックが邪魔になったので、腹側に回して、OMICAMは背中側になった。
カメラがどうなっているのか気にせず、撮り続けた。
再生してみると面白く撮れている。
正面から見た、目の記憶の風景ではないので、新鮮。

2018年8月7日火曜日

おれんじ鉄道爆走・JR線乗り入れ

西熊本駅で待っていたら、通過電車に注意のアナウンス。
ものすごい爆走で、おれんじ鉄道の車両が通過していった。

普段は田園地帯の単線をのんびり走っているイメージだが、土日休日のJR乗り入れでは
複線の高架に興奮して走って来たイメージ。

2018年7月28日土曜日

2018年1月10日水曜日

おれんじ鉄道感謝デーで、さつま川内市へ行き、新田神社武射祭に遭遇

おれんじ鉄道感謝デーで運賃が一律300円。
通常運賃2000円以上のさつま川内市へ、神社のストリートビュー撮影に。
1月7日はちょうど祭りの日で、7歳児が矢を射たり、晴れ着でお参りしたり。



2017年12月10日日曜日

Yocamを買いました・撮影角度の調整具装着

ストラップで首から下げて撮影すると、胸の角度に沿って上を向く。
空に露出が合って、地面が暗くなってしまう。
そこで、下を向くように、調整具を工夫した。

黒い綿棒にホゾを作ってグルーガンで貼りあわせ、カメラに付ける。
ベルトからゴムひもで垂直に引っ張る、胸に巻いたゴムひもで水平に固定する。

胴体と一体化した形で、ブラブラの違和感がない。




2017年3月14日火曜日

地震後、初の熊本

熊本城の石垣は、ガラガラでひどかった。
まちの中にも、被害の名残がちらほら。(一律に新しい墓石、ひんぱんに更地)

まちは活気を取り戻していた。




2015年11月7日土曜日

八代市博物館の「交流する弥生人展」に行きました

そもそも銅鐸はピカピカだったと、初めて知る。
銅鐸の製造法も初めて知る。
形にバリエーションがないのは、ナゼだ?

2015年1月5日月曜日

2013年12月14日土曜日

グーグルカーに出くわした

天井に黒い球体を載せていた。
こんな田舎さえも、撮影対象とはビックリ。
自分が出くわす確率にもビックリ。

2013年10月8日火曜日

鹿児島でインカ展、東郷青児展、常設展、島津重豪展、メルヘン館のはしご2




早朝なので、鹿児島中央駅から黎明館まで撮影しながら歩き。
照国神社の奥に銅像が有るとは、初めて知った。
















2013年9月15日日曜日

熊本の小泉八雲旧居

デパートの裏にあるとは知りませんでした。
40歳で来日、活動期間14年ほどとは。










2013年7月30日火曜日

熊本県立美術館のフジタ展に行きました、漱石旧居も見学

細川刑部邸のあと、熊本城の山を降りて漱石旧居へ向かうが道を間違えてしまう。
熊本城の石垣で、こんなに高い所があるとは知らなかった。
知らない熊本市が見えておもしろかった。

どうにか道を戻って、漱石旧居へ。
貸家なのに部屋数が多くて広い。現代的雑音がないから、創作がはかどりそうな感じ。
からくり人形があった。















2013年7月29日月曜日

熊本県立美術館のフジタ展に行きました、細川刑部邸





美術館のあと、そのまま繁華街に戻るのはマンネリルートなので、近くの細川刑部邸を見に行く。
先祖が家老だった友人の家のようである。あるいは、母の実家の部屋数が多くなった感じ。